六畳年代記

日記です

2020/05/07

自分の音楽の趣味が好きじゃない、好きな絵の趣味も好きではない、小説の趣味も好きではない、そもそも自分の好きなものってなんだろう。自分の好きなものに自信が持てない。何かが好きであることがダサいような気がしてきてしまう。じぶんの感情を表現するのが好きではない。空虚で、見栄に塗れた自分を表現する事ならできる事に気がついたので、そのことについて今日は書いていく。

少年時代に少年向けのアニメを見ずに育ったので最近Dアニメストアで有名なタイトルを片っ端から見ている。今日はNARUTOを見た、ザブザが死んだ、少し感情が揺れたけどあまりにベタな演出で感動してしまうのが嫌で意識的に打ち消した。本当に良くない思考であると思う、その後友人に感想を求められてなんと回答するか悩んだ。こうして自分の感情に背き続けた結果、自分の感情が最近本当のものであるかが怪しくなってきた、考えすぎか。自分の感情を他人のために歪めるのは正しい行為なんだろうか?

自分の感情を分析するのが面倒で仕方がない、面白くないから?それともその後に自分に不都合な結果があるのをうっすら察しているから?物事が起きた時、それを分析するのは非常に大事なことであると、感じることが最近多い。

ブコメが好きだ、最近TSFものの漫画をよく読んでいる。自分の感情がよく機能している気がする、私も一度は恋愛してみたいと思う。誰かを抱きしめてみたい、抱きしめると柔らかくて小さいものをよく考える、いい匂いがするものを考える。考えると辛くなる。幸せになりたいと思う。これは性欲なんだろうか?それとも何か別の感情なんだろうか?分析するのが難しい。

こういった私的な感情を匿名で公開することで、友人に打ち明け話をするような、背筋がゾクゾクするような快感を感じる。